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事故で亡くなられたムコ多糖症研究者、モニカさんとティムさんのご冥福を共に祈りましょう

2006/12/17

先月3日、アメリカのセントルイスで、尊い命が2つも奪われました。飲酒運転者によって引き起こされた交通事故。被害にあったのは、ムコ多糖症の治療薬開発のために尽力されてきた若き研究者2人、Monica Alexandra GutierrezさんとTimothy Allen Beckerさんです。お二人はともにセントルイス大学でムコ多糖症の研究に携わられ、特にMonicaさんは、当会が支援をしている戸松俊治先生の研究室に所属する最古参の研究者でした。

日本では、薬は製薬会社が研究して作るもの、と思っている人が多いと思いますが、ムコ多糖症のような「超稀少難病」の治療薬を一から研究開発する企業はありません。こうした難病のための薬剤は、欧米諸国にいる志ある研究者たちが、ひたむきな情熱を傾け、長い年月を費やして研究を重ねた結果として開発されるのです。製薬会社が関わるのは、開発のめどが立った最終局面からであり、それまでの地道な研究を担うのは、戸松研究室のように執念を持って治療薬開発に挑む研究者集団です。

その戸松研究室は、来年にも、スイスの製薬会社とともに、宿願であったムコ多糖症4型モルキオ症候群の治療薬の治験を開始される予定です。Monicaさんたちは、戸松先生と一緒に治療薬開発というゴールを目指しラストスパートしようとしていた矢先に、このような悲運に見舞われてしまいました。

ムコ多糖症の患者のために、多大なる貢献をされましたお二人のご冥福を心よりお祈りいたします。

以下に、セントルイス大学小児科の戸松俊治先生と、Monicaさんの同僚である戸松研究室の及川弘崇さんから寄せられたメッセージを掲載します。

在りし日のMonicaさん
在りし日のMonicaさん

亡くなられたTimothyさん
亡くなられたTimothyさん

ムコ多糖症支援ネットワーク・耀くん基金

及川弘崇さんからのメッセージ

 青信号時左折中、飲酒運転の車に右側から追突されて、僕の友達でもありラボのメンバーでもあるモニカとティムが亡くなりました。

 僕とラボで別れたのが0時15分ごろだったのでその直後だと思われます。

 僕もその日の帰りに事故現場を通ったのですが、そのときには彼らの事故とは知りませんでしたが、4車線の大道路を完全封鎖するほどの大きな事故でした、後日ティムの車の状態を見て言葉を失いました。

 ティムは僕のボスである戸松先生が以前所属していた生化学研究施設のDr.スライラボのメンバーで主にMPS7の病態モデルマウスをはじめとした実験用動物の管理を仕事としていてくれた共同実験者です、彼は酵素補充療法の基礎実験となる病態モデルマウスへの酵素補充をその繊細な技術で実験に参加しており、彼が管理調製または酵素補充していてくれた病態モデルマウスのおかげで、将来患者さんに有効であろうと思われるさまざまなポジティブデータを生み出すことができました。
 プライベートではキャンプに連れてってくれたり、ご飯を食べに連れていってくれたりと、ろくに英語もしゃべれない僕を気にかけてくれるとても優しい人でした。
 皆から愛されていた最大の理由は、彼はどんな依頼に対しても決して「No」と言わなかった事です、どんなに仕事が詰まっていても、夜遅くまで実験施設に残り依頼された仕事を確実にこなしていくまじめな人でした。

 モニカは戸松ラボの古株とも言える人で、MPSの患者さんたちのために、子供たちのために、単身コロンビアからわたってきた、意欲のある研究者でした、彼女は博士号を持っていなかったため次期からセントルイス大学のPhDコースに入学予定でした、女性が35歳という年齢から博士号をとろうと進学する意欲がすごく、この世界でも、遅いくらいだろうと思われるのに、そんなことはお構いなしで、患者さんたちのためと奮起していました。
 日々、ピペットとさまざまな実験器具、出てくる数値の実験データなどに囲まれ、毎日の仕事の中で普通ならば忙殺されていくような状況においても患者さんたちのためという情熱を忘れることなく努めていました。 たまに、僕たちの研究室をMPSの患者さんが訪れることがあるのですがその際にも、一日でも早くいい薬を作ろうと話し合える、熱い人でした。

 ティムは30歳、モニカは35歳、亡くなるのにはあまりにも若すぎました、特にモニカは同じ研究室ということもあり、又コロンビアという海外から留学できていた研究者ということもありまして、状況が自分にかぶってくるところもあり、感慨もひとしおでした。彼らの若い人生を考えると、これから幸せな結婚もできたであろうし、彼らがこれからさまざまな有用な実験データを生み出すはずであったろうし、人生が輝いていました、なんともやりきれなかったです。

 事故があった次の週には、日本で言うお通夜にあたるビジティングがそれぞれありまして、モニカとティムに会ってきました。事故があれだけ大きかったのですが、幸いというのもおかしい話ですが二人の顔には傷ひとつなくとても綺麗で無精ヒゲの具合も最後にあった時のままだし、また僕のつたない英語の話でも聞いてくれるのではないかと一生懸命話してみました。

 ビジティングは二人に会える最後の機会だから本当は泣かないつもりだったのですが、どうしても涙が出てきてしまい、ティムのお父さんに謝ったのですが、ティムのお父さんは「ティムには友達がたくさんいたことが分かって嬉しい」といってくれたので、その後笑顔で送ることができました。

 ティムのビジティングの次の日にはティムのお葬式を執り行い、モニカについては遺体をコロンビアに送り届けた後お母さんの下で葬式を挙げるとの事でした、お正月にはコロンビアに帰る予定だったようで、飛行機のチケットはもうすでに取っていたみたいで遺体の搬送に役に立ったのではと思われます。

 ティムさん、あなたの手はアメリカ人なので僕の手と比べるとやっぱりごつくて、よくこの手であんなに小さなマウスのあんなに小さな血管に酵素を注射できたなあと思ったよ、今のところ僕がティムさんの代わりにマウスに酵素を注射しているけど、ティムから見て僕の技術はどお?うまくできているかな?結構自信はあるのだけど。

 モニカさん、ビジティングの日に気がついていたけど左手の薬指の指輪、いつもつけていたやつと違かったね、後からアドリアナさんに聞いたのだけどティムのお母さんが結婚式の時につけたやつをモニカさんに譲ってくれたみたいだよ、よかったね。前にモニカさんが言っていた、コロンビアの結婚式の時にだけ作る特別なケーキ、僕に見せてくれるかな?楽しみにしているよ。

 今日セントルイスでは雪が降ったよ、とても寒くて寒くて、でもティムとモニカは今頃コロンビアかな?あそこは赤道が近いからあったかくていいね。

2006年11月30日

セントルイス大学医学部小児科
及川弘崇

Monica Gutierrezのために

親愛なるモニカへ

 私はたった今ここスイスであなたの悲劇を聞きました、私はなんって言ったらよいのか言葉を失いました、あなたに起こった出来事についてわたしは心から悲しく残念に思います。

 1999年にコロンビアであったthe international medical conferenceでバレラ教授から紹介があって、はじめてお互いが会った日のことを思い出します。そのときあなたが私達の研究に対しての好奇心を語ってくれてことを思い出します。そしてそのときから、私は幸運にもあなたをセントルイスで迎えることができました。
 あなたと私は生物化学研究施設と小児科で計5年間一緒に仕事をしました。あなたは私の研究室で最初のresearch assistantです。あなたはとても有能でとても珍しい病気で苦しむ子供たちの薬を開発するために非常に熱心に働きました。あなたは、私の仕事を支えてくれて、私に科学の著しい業績を与えてくれました。
 私たちは、私たちが長い間追及してきた薬を開発するゴールを目の前にしています。それに加えて大きな希望として、次の12月にあなたの大学院への進学があります。あなたは私の研究室で、大学院生としてまた一緒に仕事ができるでしょう、私はすごく幸せです。あなたは私に言いました、「私はこの仕事を続けたい、私はここを離れたくない」と。

 モニカは皆から、その大きな笑顔によって愛されています。
私はあなたがここにいないとは信じません。
私はあなたに2度と会えないとは信じません。
なぜ信じなければいけないのですか?

 私がチューリッヒに向けてセントルイスを去る前に、私が今いるスイスの会社のあなたの友達にいくつかの記念写真を渡すよう私に依頼するために、私たちはちょうど会いました。私は「また後で」と言いました、それに答えてあなたは「Dr.戸松、気をつけて、スイスまでの良い旅を」といいました。私はあなたにすぐに結果を送る旨を言うために私はあなたにe-mailを送りました。私はここであなたからの写真をあなたの友達に見せながらあなたについて話していました。ここの誰もがあなたにあいたがっています、私は彼らにあなたが皆に会うためにすぐにここに来るだろうと約束していました。

 私はここで「こんにちは!Dr.戸松 私はほんとにいい結果を持っていますよ、セントルイスですぐに会いましょう」というe-mailをまだ待っています。

 ティムのビジティングの次の日にはティムのお葬式を執り行い、モニカについては遺体をコロンビアに送り届けた後お母さんの下で葬式を挙げるとの事でした、お正月にはコロンビアに帰る予定だったようで、飛行機のチケットはもうすでに取っていたみたいで遺体の搬送に役に立ったのではと思われます。

 あなたはまだ多くの希望と才能を持った若くて有望な科学者です。私はあなたを非常に恋しく思います。私たちは科学のあなたの希望を継ぎ、あなたと病気の子供達に代わって確実にゴールを達成するものとします。あなたは、私たちとともにいます。

ご家族への心からの弔辞とともに

2006年11月3日

セントルイス大学医学部小児科 助教授
戸松俊治