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ほっとコラム

初マラソン敢走記

2005/12/10

ゴーヤチャンプル、おいしゅふございました。
ソーキそば、おいしゅふございました。
Yはもう走れません・・・。

誰が考えたのか、「NAHAマラソン」のキャッチコピー。「太陽と海とジョガーの祭典」って、空を覆うは黒い雲、海は鉛色、真っ青なのは私の顔だけ。最悪の天候である。吹き付ける風速14・4メートルの北風から身を守ってくれるのは、オレンジ色のど派手なTシャツ1枚。「ムコ多糖症支援ネットワーク・耀くん基金」と大書きされたこのシャツを、スタート前に友好団体「NPO沖縄ちんどん屋同好会」の鴨澤友美さんに託す。「私たちのかわりに、これを着て完走をしてください・・・」。

参加ランナー、19846人。午前9時スタート。まずは全長1マイル(1,852辧法△錣困2車線しかない国際通りをランナーが埋め尽くす。これから42.195劼眄茲砲△襯粥璽襪鯡椹悗后¬臣里蕕困平祐屬硫蓮新宿駅から出発すれば中央本線で高尾駅、大阪駅からなら和牛で有名な兵庫県の三田駅が、大体ゴールにあたる。ドライブか家族の小旅行で行く距離を自分の足で走ることにとりつかれた人の群れが、波のように押し寄せる。うっかり転ぼうものなら、ヒラヤチー(沖縄風お好み焼き)にされよう。
 「耀くん基金」3人組の司令塔は、フルマラソン完走歴多数の黒住周作兄。作戦は、「序盤、ペースを押さえろ」。言われなくても押さえたい。でも、これがなかなかままならぬ。修羅の形相で走る本気ジョガーたちが押し寄せてきて、歩こうものなら後ろから突き飛ばされてしまう。それでも1劼鬘己30秒とゆるいペースを何とか維持し、前城均兄らと3人一緒に進む。

沿道でずらりと並ぶ地元の人たち。エイサーありカチャーシあり、老若男女、思い思いの方法でランナーを応援する。黒糖をのせたお盆を持つ子供たち、飲み物や果物を差し出し「病気の子供たちのために走っているの?チバリヨー」(沖縄方言で「頑張れ」)と励ましてくれるオバアたち・・・。「私設補給所」が延々と続く光景は、沖縄以外のマラソン大会では見られないものだという。「いちゃりばちょーでー」(沖縄方言で「一度会ったら兄弟」)の真髄、ここにあり。人に対する、わけへだてのない思いやりを、私も含め本土の人間はいつの間に忘れてしまったのでしょうか?

さて、このマラソン、Yの描いた青写真はこうだ。「NAHAマラソン」はコース途中2か所に「関所」を設けてある。それぞれに通過制限タイムがあり、間に合わなかったランナーのマラソンはそこで終了。道路規制を早く解除したい警察の意向で、遅いランナーは足切りの憂き目に合うのだ。最初の関所は21,2辧中間地点の平和祈念公園。制限時間は3時間15分。2か所目は、31,8卉賄世韮柑間45分。月1ゴルフ以外、まともな運動をしないYの前にそびえ立つ時間の壁。いずれかの関所を越えられずに無念のリタイア=「警察がもっと長く道路使用を認めれば、完走できたはずだ」etcの負け惜しみを吐き捨ててYのマラソンは終了。これが唯一丸く収まる幕引きだと考えた。

しかし・・・、あにはからんや、オヤヂ3人のマラソンはトントン拍子に進む。1辧瓧己30秒のペースは全く崩れず中間地点を突破。黒住リーダーから「後半は自分のペースで行け」と背中を押され、それ以降は一人旅。「まあ、次の関所までだな」とタカをくくり、沿道からいただくバナナやらみかんやらを猿のように食いまくり、給水所では水やらさんぴん茶をカバのように飲みほす。

ようやく見えてきた31,8劼隆惱蝓そこで耳を疑いたくなる言葉が運営係の拡声器から聞こえてきた。
「・・・今のペースだと完走ギリギリですよ〜」。え?完走?
 とうとうルビコンを渡ってしまったY。とうの昔に限界を越えた肉体の中で、思考だけがくるくると回り始め、一つの欲望がわき起こる。もしも完走したら・・・、「絶対無理」「身の程知らず」「うつけ者」などなど、言いたい放題だった連中に一泡ふかせられる。ブクブクとカニのように泡をふかしてやりたい。実に心の狭い欲望。

それからの道のり、あろうことか泡をふいたのは私の方だった。人生でこれ以上辛い思いをしたことはない。那覇空港から吹き付ける強烈な向かい風で涙目になり、曲がらなくなった右膝から激痛がほとばしる。リタイアしようかな?でも、「辛い」という以外、リタイアするにふさわしい理由が見つからない。35卉賄澄やめるには何か中途半端。40卉賄澄やめるにはゴールが近すぎる。もうダメだ、最後まで行くしかない・・・。

余人にはおよそ意味不明な自問自答の末、Yはとうとうゴールの競技場までたどりつく。
5時間52分55秒。完走。

「絶対無理」「効果が無い」「意味が無い」・・・いろいろ言われました。今回のマラソン、やらない理由ならいくらでもありました。やる理由は?片手ほどもないです。そのわずかな理由のために、とにかく最後まで走りました。

マラソン後、那覇市内のビジネスホテルのベッドの上に、動けなくなった体を横たえながらしみじみと思いました。「走るのは、好きじゃない」。

末筆となりましたが、応援してくださいました皆様、本当にありがとうございました。

事務局・Y